ひたすら漕ぐ。7話

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walk at full speed
本当に人と人の出会いは一期一会ですね。
前回終わりに話したみたいに
退院後顔を合わせて話すお友達ができたのも
私は財産だと思ってます。
前回の続きのスタートです。
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朝、昼、晩、欠かさずに片道130メートル、往復260メーターの旅。
欠かさずに、4往復。約1キロ正直キツかったです。
けどやらなしゃーない。
そう思ってやりました。
その時は必死に歩ける事を想像して、
そこをゴールとして想定しなければやりきれなかったですね。
それが出来なければ家にも帰れない、
子供と過ごせない。支えてくれてる妻にも会えない。
大きい理由。自分を奮い立たせたのはその理由です。
だからこそ、当時一日3回も出来てたんですね。
ひたすら漕ぐ
今は場所もなければ、テンションもそこまで無いので、
そこまでできないですが、1つ入院されてる方に言えるのは
今病院に居るのならやっておけ!!
です。なぜかとゆうと、理由はたくさんあるんですが、
決定的なことを言わせて頂くと、今病院なら体を動かして、
何か人のサポートがいるなら、病院に滞在することで、自身の健康管理に専念できます。医療スタッフの支援が受けられる環境にいるからです。一方、自宅では一人で過ごすことになり、必要な援助が得られません。無理なことをせず、まずは体力回復に集中しましょう。
私に許されてたのは、車いすに乗ってなら廊下を移動していいよとの事でしたので、
その車椅子に乗って歩くのが体を動かす運動だったんですよね。
私はその様な事をしてるうちに、長下肢装具を初めて作ったのもこの頃でした。
少しずつワイヤーで吊られながら歩けるようになり。
トイレも1人で行けるようになり平行棒でゆっくりですが、
装具を付けて歩く事が出来るようになっていき。
初めは太ももの所までのパーツをつけて歩いたのを今でも昨日の事のように、
思い出します。そのぐらい歩くしかしてなかったですわ。
今更ですがそれだけ歩くに努力できるなら、手を動かす。言葉を話す。
OT、ST、頑張るべきでしたね。何か症状が変わってたと思いますわ。
目まぐるしく日々は流れ2か月ぐらいたった時ですかね?
装具の上の部分が外れて、膝から下だけになって、歩き出したんですね。
初めは膝が折れないか心配で倒れるのだけはダメだぞって左足を前に出すたびに
思いながら歩いてましたね。
歩きばっかり優先してた私ですが、今度は違う目標を言われるんです。
階段の上り下りを出来るようにしよう!
確かに家に帰るためには玄関の手前に3段ほど階段がある。
そんな3段ぐらい楽勝でしょ。とほざく私。舐めてますね。
実際練習で、言われた通りにやってみる。
上がる時は、健康な脚から上げる。
逆に、降りる時は麻痺側から降ろす。
ヤバイ!これが激ムズです。
こればっかりは健常者には分かってもらえないと思います。
実際私も健常者の時の考えで、そんなん余裕やろって思って行動して
思い知りましたわ
やっぱり今はもう身体障害なんだなと少し落ち込んだのを覚えてますね。
この続きは後ほど、、、、、、、、、、。よろしくお願いし〼。



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