前回は、自分が片麻痺で
声が出ない。
事実を聞いたとこで終わりましたね。
以下本文です。
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事実を知ったとき、正直ショックでした。
なんで俺はこんな状況になってもまだ生きてるんだ?
何日も同じ疑問を投げかけてはまた悩む。
当時は正直ずっーーーーとそんな感じでした。
それである日、院内で移動があって、
私は3階から2階に移動になりました。
そこでいろいろな人たちに助けられるんですね。
まずSTの先生が同じ年の(当時43歳)男の先生。
話ができない私と常に筆談。たまに口の動きでそんなこんなで
だから話してるだけで楽しく当時はリハビリが唯一の楽しみ。
それに続けと言わんばかりかST、OTがグイグイ近寄ってくる。
そんなこんなで少しずつ気力が出てくる。
そんな矢先に睡眠中に呼吸が止るんですね。
バイタル異常でアラームがけたたましく鳴るんで
医師の方も、緊急集合。
で、助けられる。はじめは目が覚めると自分をのぞき込む医師や看護師。
みんな「よかったねー!」「おかえりーよく頑張ったね!」
声をかけられたが本人よく状況がつかめてない。
それから徐々に状況が分かってくる。原因がわからないまま何日か過ごす。
また止まる。今度は前回より発見も早くてまだマシだったらしい。
また、良かったねと言われてもさすがにいろいろ考える。
ちょうどコロナ渦で全くお見舞いもできない時期。
ふと考えると6か月近く家族と会っていない。
「家族に会いたい!」
口に出してしくしく泣きました。
year~自分で言うのもあれなんですが、結構逆行には強いんですが、
この時は、このまま死ぬかもって思って泣きましたね。
ただこの時期から嫁、子供残して、死んでどないすんじゃとリハビリを頑張るようになりましたね。
ベッドで座る事も初めは出来ず、ふらふらする始末。
情けないが体感が全くなかったですね。
そこから座れるようには、わりかし早めになれたので、
次はクレーンで吊りながら車椅子に移動ですわ。
リハビリ中は車椅子に座りつづける練習。
そのうちベッドから自立しての移動。
どこまで回復できるかなーとか会話しながら過ごす日々でした。
担当リハビリ氏はこの病院では車椅子の上で食事がとれるように
なればゴールかなと思ってるよ。
と言われました。
そーなのかと思いながらあわよくばもっと想像を超えてやる。
何を言っとんじゃ。よー見とけよ。と心の中ではマジトーンで言ってました。
この続きは後ほど、、、、、、、、、、。よろしくお願いし〼。